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古代の不動産価値

12月
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 古代と言っても、狩猟・採取によって食料を得ていた縄文時代前期・中期と定住して稲作をするようになった縄文時代後期から弥生時代に分けられますが、少し古代の不動産価値を考えてみましょう。縄文時代には、やはり、山や海で狩猟・採取するのに便利なだけでなく、川などの水運にも恵まれている所に洞穴を利用した横穴式住居を作りました。周りの敵から身を守るため、後ろに山を背負った丘陵地帯の周辺部が人気だったのではないかと思います。

 これが、稲作が始まるようになると、だんだん集落ができ始め、それが、大集落に発達します。この代表が吉野ヶ里遺跡です。吉野ヶ里丘陵全体を一周する環濠が作られ、その中に集落がつくられました。今で言うところの郊外のニュータウンでしょうか。

 さらに、時代が進み、古墳時代になると、高地性集落も環濠集落も消失してしまいます。この時代以降、現代にいたるまで、低地の平野部の不動産価値が急速に高くなっていきます。低地の平野部の不動産価値が上がったのは、現代と同じで、アクセスの良さです。それぞれのムラが大きくなって、クニを形成し、クニとクニを結ぶ幹線道路ができてきます。今でも、当時できた幹線道路を基本に道路ができています。この道路沿いで、人や施設が集まるところが今も昔も不動産価値が高くなっています。

 古代の人は、まだ、もちろん不動産と言う考えはなかったでしょうが、稲作をし始めると、土地に対して、大きな価値を与えます。

日本は、稲作が普及するとともに、土地神話が定着し、富の基準を貨幣で表すと同時に、土地の広さ、住まいの豪勢さで冨の象徴としていくようになります。私達がいつかは自分達の住まいを持ちたいと思うのは、祖先から脈々と続く意識なのです。

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